第40話 ちらし寿司
今年もひな祭りの日がやってきました。ひな祭りの食べ物といえば、どれも縁起物だったり、願いを込めたりと色々です。蛤のお吸い物、三色の菱餅、四季を彩った雛あられ、桃の花びらを浮かべた白酒、最後は「ちらし寿司」とつづきます。
このちらし寿司、実はその豊かな具の種類こそ薬食同源の言い伝えの通りです。ちらし寿司の具の種類が出揃ったのは一体いつ頃だったのでしょうか?ちらし寿司の歴史を辿りながら、『ちらし寿司縁起』を脚色してみました。
『さてさて昔々のちらし寿司誕生のお話ですよ。始まりは室町時代(足利尊氏の頃)。備前の国(岡山県)の瀬戸内海沿岸には、島々を巡ったり漁をしたりの舟が行き交っていたそうな。昼になると船頭たちが浜に集まり、炊込みご飯を炊いていたとのこと。具はもちろん地魚中心で、他に多少の山の幸も混ざっていたとか。あるとき風体の卑しい旅侍が飯乞いに立ち寄ったのだが、漁師たちは「自分たちの分しかない」と言って断ってしまった。怒った旅侍は腰にぶら下げた濁酒(どぶろく)入りの瓢箪を飯炊き釜の中に放り込んで、そのまま立ち去ったのだとさ。奇跡が起こったのはその直後のこと。船頭たちは濁酒入りの炊込みご飯を食したのだが、皆一様に目玉が飛び出るほどに驚いたもんだ。それもそのはず、酸敗した濁酒の酢が飯に浸みて美味いのなんのって、それはもうほっぺたが落ちた漁師も居たそうな・・・お終い』。
というわけで、備前の海岸の炊込みご飯は、炊き上がりに酢を散らして出来上がりという風に進化したのです。これが酢飯の始まりで、炊込みご飯は「備前のどどめせ(どぶろくの方言)」となって進化を遂げてきたのだそうです。
やがて時が流れて戦の時代が過ぎ去って、天下泰平の徳川の治世となりました。人々は平和を喜び贅沢を求めて街道を行き交いました。そして「備前のどどめせ」は、贅沢度バージョンアップを繰り返して「備前ばら寿司」となったのです。栄養価も大幅アップして、岡山を訪れた旅人もいたく愛でたので、その名は日本列島各地へ広まったのだそうです。
では、「雛祭りとの関係は?」といいますと、枕草子にも源氏物語にも出てくる「ひいな遊び」が江戸城の大奥で更なる進化を遂げたのだそうです。1年に1回、3月3日だけの贅沢な遊びには「備前ばら寿司」が加わって、それはそれは女たちが待ちわびる祭事となったと云うわけです。
薬食同源の立場から言いますと、ちらし寿司を彩っている具の種類は30に近いのではないでしょうか?皆さん、数えて見ては如何ですか?酢も砂糖も数え合わせれば、栄養素の相乗効果は言い伝えの通りになりそうです。